私の喜劇人生(コメディ・ライフ)
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私の喜劇人生-1 | ||||
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父と子
我が父親は、東京人情喜劇のエキスパートの様に思われているが、家でのオ
ヤジは180度違うナンセンス・ギャグのエンサイクロペディアだった。都会
育ちの私はハロルド・ロイドのソフィスティケーティッドなサイレント・コメ
ディが好きだった。 コメディアン
「チャップリンとロイド。どっちがすき?」 マルクス
スクリーンのマルクスに出会えるのは、これより
10年の歳月を要するのだった。その間、私はモンティ・パイソンにしびれ、
メル・ブルックスを信奉した。 反抗
帰宅しこの感動を父に話すと父は烈火の形相で怒った!私も高校生だ
将来の自分の道を語り怒られたのではこれから先、妥協の人生を送る事になる
怖いがオヤジに反発した。 ディズニー映画
4歳頃からディズニー映画を観まくった。 ミュージカル・コメデイへ
私の家は新宿なので歩いて映画館に行ける。一週間に2回は観てたと思う。
白雪姫
幸せな4歳児だ。キクコさんありがとう。 スラップ・スティック
ディズニーも好きだったが、TVの外国アニメのスラップスティックぶりも
大好きだ。
関敬六さん関敬六さんは「怪獣王ターガン」で「ムッシュ・ムラムラ」と云う奇妙な 造語を発している。疑問
私は関さんに「ムッシュ・ムラムラ」はどう云うキッカケで発されたのか? | ||||
私の喜劇人生-2 | ||||
外国TVアニメ
外国TVアニメは面白い。ハンナ・バーベラは有名だ。 まんが実写版
まんがの実写版もおかしい。「忍者ハットリくん」で最高だったのは、
東北出身の大コメディアン・谷村昌彦さん扮する「花岡実太(ハナオカズッタ)」だ。 谷村さん
悪役・ケムマキが、早く給食を食べたくて忍法で早めに終了ベルをならす。
本当は2時間目の終わりなのだが・・・。 吉田義夫さん
「悪魔くん」の兄メフィスト・吉田義夫さんは東映時代劇の悪役スター。 潮健児さん
潮健児さんもすごい顔してる。いるだけでおかしい。メフィストはぴったりだ。
地獄大使
ボクは「地獄大使」に会った事がある。オヤジと一緒に後楽園球場に、
都市対抗野球を観戦した帰りだ。 ショッカー
中に入ると地獄大使が煙草を吸っていた。 余談
余談だが、大人になって「ゾル大佐」「死神博士」「ドクトルG」とも
会うことになる。しかも、「ドクトルG」は車で家まで送っていったくらいだ。 | ||||
私の喜劇人生-3 | ||||
「てなもんや」
私が3,4才の頃、オヤジは大阪・朝日放送の怪物番組 「栗饅頭」
その帰京土産で楽しみなのが日本航空の機内おやつとして
出る「栗饅頭」だ。 パブロフの犬
必然的に私は「てなもんや」を楽しみにする。 喜劇の味
「てなもんや」は藤田まことさんのパーソナリティの他に、
白木みのるさんの個性で盛り上がっていたのも事実だ。 デンスケ
大宮敏充さんのデンスケは観てるだけでも、ほんと、楽しかった。 白木氏
「よう!三波ちゃん!」てなもんやの珍念・白木みのる、その人だった。 !??
対して私と身長が違わぬのに・・・ すごすぎ
私「あの子、子供のくせに三波ちゃんだってよ!」 | ||||
私の喜劇人生-4 | ||||
『道化師』
私が小学5年の時衝撃のレコードに出逢った。 マリオ・デル モナコ
マリオ・デル モナコ演じる喜劇一座の座長・カニオは
妻を寝取られながらも道化として舞台に立ち、客に笑われる。 マイム
そして、フランスでピエロ、イタリアでパリアッチ、アメリカでクラウン、
つまり、道化師に異常に興味を持った。 鼻水が・・・
オヤジもスケルトンが大好きで、
彼の自画像を大枚はたいてアメリカで買ってきたぐらいだ。 たまらない
「ジーグフェルト・フォーリーズ」の中ではジンのCMをへべれけになって
つとめるテレビタレント役で絶品のマイムをみせた。 別物?
私はスケルトンのマイムを思い浮かべるとき、モナコの歌声が脳裏をよぎる。 | ||||
私の喜劇人生-5 | ||||
『絵』
親父はつねに云っていた。 『確執』
親父は「減点パパ」で、または「三波伸介の凸凹大学校」のエスチャーで周知の通り、
「絵」がうまかった。 『似顔絵』
志ん生と文楽の様に、ここまでくれば好き嫌いの域であり、 『違い』
親父は正確な骨格表現を「影と点」の重視で 『被害』
親子の似顔絵合戦で迷惑を被るのはモデルになった方々。 『*年後の怒り』
「誰の何年後」と云うテーマで勝負した時、 『そして、30年後』
しかし、しかしである。 『三位一体』
内面の表情をとらえた父の表現力の勝ちであった。 | ||||
私の喜劇人生-6 | ||||
『絵その2』
親父は何故か、富士山が好きだった。 『スケッチ』
笑いの特訓?(人は宴会とも呼ぶ)の合間、
富士山近辺にスケッチに出たりもした。 『絶景』
山間は空気も素晴らしく、そして絶景だ。 『冷え』
夏期とは云え、山間部の涼しさは時間の経過と共に都会人に対し、
容赦なく「冷え」を与える。 『臨時トイレ』
私と親父は違法な立ち小便をする為、ガケっぷちに立った。 『着地音』
しかし、しかしである。 『そして…』
男性諸氏はおわかりと思うが、開いた尿道を閉じる術もなく、
ただ放尿するだけだった。
管理人…↑「スケッチ描かずに、恥かいて逃走した」なんて言葉あった???(笑)
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私の喜劇人生-7 | ||||
『絵その3』
「阿佐ヶ谷のセザンヌ」と自称していた親父は、
『似顔絵合戦』
似顔絵決戦は、ついぞやむ事なく、外国のコメディアンや
物故された日本の名喜劇役者を二人で描いた。 『力士絵対決』
親父は雷電が五人の力士が一斉に飛びかかる絵を描き、
私は雷電が土俵の柱めがけて、力士をブン投げてる絵を描いて悦に入っていた。 『減点ファミリー』
「減点ファミリー」を御覧下さる方々によく、 『似顔絵秘話』
親父の名誉の為に云っておくが、 『新幹線にて』
それは、さておき。 『おばあさんの願い』
第二次世界大戦でご主人は出征され、戦死。 『似顔絵』
東京大空襲を経験している親父は涙ぐみ、 『おもかげ』
おばあさんは、長年たまっていた苦労と喜びが相まってどっと涙が溢れ出た。 『決着…』
私は横でもらい泣きしていた。 | ||||
私の喜劇人生-8 | ||||
『喜劇王』
喜劇王と云われた先人達は、数多おられる。 『喜劇の灯』
先日、先代の遺品の虫干しをしていると、
情のこもった、素晴らしい絵だ。 そして、榎本先生から頂いた手紙も出てきた。 詳細は略させて頂くが、榎本先生が「三波君」と親しみを込めて 「喜劇への情熱を続けて欲しい。」 「喜劇の灯を絶対に消さないで欲しい。」云々の内容が記してあった。 これを読んだ、先代は身の引き締まる思いだったろうし、 私も改めて肝に銘じた。 『喜劇王・エノケン!』
晩年は鋼の肉体を病で壊されてしまった榎本先生。 『生きる証』
私は、榎本先生から頂いた「エノケン・サイン入りライター」と「ネクタイピン」をながめながら
「喜劇で生きて行く」気持ちをより一層強くした。 | ||||
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